|
初めてのマイカメラ 初めて買ってもらったカメラは、フジペットEEだった。小学校3年か4年か、たしかそんな頃だった。ちょうど一眼レフがブームになりつつあった時代で、フジペットEEの、まるでペンタプリズムみたいなデザインのセレン受光素子&ビューファインダー部分にカッコ良さを感じたからだ。でも、高学年になって、まわりの連中がキヤノネットとか持ってるの見て、フジペットEEが妙に恥ずかしく、持って行きながら、カバンの中からださずに帰ったこともある。
一眼レフの衝撃 中学1年の6月、中学生になって初めてのビッグ・イベントである陸上競技会が開催された。その時、カメラ屋の息子で写真部にいた友人が、三脚に黒いカメラを固定してセッティングしているする姿に目が止まった。すごくカッコイイ!ボクは彼に頼んでファインダーを覗かせてもらった。ミランダG(Fだったかも?)+ソリゴール100〜200ミリF5.6を通して見た世界は、かつて経験したことのない強い衝撃をボクに与えた。スゴイ!こんな世界があったのか!ファインダーの映像と、カメラから漂うほのかな香りが脳裏に焼き付いてしまったのだ。以後、ボクは一眼レフに憧れ続け、いつかは自分のものにと、一生懸命お小遣いを貯めることになる。
ニコンとの出会い 高校入学のお祝いなどで、いっきに貯金がリザーブに達したボクは、ついに一眼レフ購入を決意した。カタログなどを集めて作成した資料をもとに、多いに悩んだ。比較的安い価格のカメラを買って、憧れの望遠レンズも同時にGETすべきか、とりあえずは標準レンズだけでいいから、高級機を買うべきか………? クラブ活動がなくなって生じた時間を活用してアルバイトにせいを出し、お金ができるとレンズを買ったり、現像や引き伸ばしのアイテムを買ったり………
復活の時 興味の対象がクルマに変わるにつれ、ボクは、写真に対する情熱も、カメラに対する愛着も急速にさめてしまった。ところが、突如サラリーマンをやめ、副業として続けていたフリーライターを正業にすることになり、真剣に写真を撮る必要が生じてきたのだ。1988年のことである。当時の機材は、ニコンFM2と35ミリ&75−150ミリのズームだけ。写真だけの仕事もあり、いきなりプロ活動をするはめになってしまったのだ。必要に迫られ、再びカメラ機材に投資をはじめ、常に最新のニコンを数台使うようになっていった。ただ、なぜかF4には見向きもしなかった。F301、F801、F90、F90X、そして数台のF3&
………。 当時はバブル真っ盛りで収入も爆発的に膨らみ、無意味に贅沢な暮らしをしていた。個人でフリート契約できるだけのクルマを所有していたのもこの頃だ。で、ある時、メルセデスのトランクにカメラバッグを入れていたのを、ボルボのトランクに入れたつもりになって、撮影の仕事に出かけてしまったのだ。あっ!カメラ忘れた!仕方がないので近くのカメラ屋に行って、ニコンF601とタムロンの28‐200ミリを購入してしのいだのだが、これがどうも気に入らない。2件目の仕事先でもコレを使うのかと思うといやでいやで
………。
Come back to Tokyo 1995年1月17日。風邪によるヒドイ高熱のため、初めて仕事を断って寝ていたボクに、悪夢のような現実が襲いかかった。阪神淡路大震災である。幸いにして、家、事務所共に大丈夫だったが、仕事には大きく支障をきたした。バブルがはじけて苦しくなった上に、まったく仕事ができない日が続く。ボクは、東京に帰る決意を固めた。懐かしの東京。懐かしの銀座。高校時代にお世話になったミヤマ商会や新橋カメラ、そしてカメラのきむら日本橋店 &………。 生活資金捻出のため、あまり使わない機材の売却をしたり、まだずいぶんと残っていたクルマを処分しながら編集部に挨拶回り。夏ごろには、仕事もなんとか増えてきた。ずいぶん頑張ったものだ。自分を誉めてあげたい、と感じたボクは、その年の誕生日、急に思い立って銀座へ行き、自分のための誕生日プレゼントとして、ボクと同じ年にこの世にデビューしたニコンS2初期型をGETしてしまった。ついでに、メーターの壊れていたフォトミックファインダーを修理。仕事以外で出歩く時は、必ずどちらかをパートナーとして持ち歩くようになったのだ。
ドロヌマへ ニコンのクラシックを使っている頃はまだ良かった。ボクにドロヌマへの入り口の鍵を渡してくれたのは、衝動買いしたライカミニルックスだった。頼りないAF駆動サウンドが情けなかったが、アガリをみてドキッ!鍵はあけられた。こんなのでもライカは違うんだ、と感じたボクが、ホンモノのライカに吸い込まれるのに障害はなにもなかったのだ。 ライカを使うようになってからのボクは、写真を撮る楽しさを再発見したようだ。見なれた風景が、建物が、とても新鮮なものに見えてきた。そして今、ボクはライカだけでなく、いろいろなカメラやレンズを使い、目的や気分に合わせて彼らと共に、ボクの東京を記録する自己満足の旅を楽しんでいる。これからも、どんどんボクの東京を撮り続けていくつもり。本当は、公開するつもりなんてなかったけど、HALUOXさんの力で、こうして皆さんに見てもらうチャンスが与えられ、とても嬉しく思っています。ボクの東京に、ひとりでも共感を持っていただける人がいたなら、何にも代えがたい幸せです。
|